小倉城散策

場内の門跡(門跡めぐり)

大手門

11_R.jpg

 城の玄関口となる門。立派な巨石を多用した、正門にふさわしい門。

槻門

12_R.jpg

 読み方は「けやきもん」。藩主、公儀役人の他、家老や主な寺の住職のみが通行を許された門。

鉄門

13_R.jpg

 読み方は「くろがねもん」。中老以下一般武士が通行した。現在の左半分が往時のもの。

多門口門

14_R.jpg

 多門とは本来長屋の事で、本丸から北の丸への通り道の門。

西の口門

15_R.jpg

 小倉城の裏門にあたり、二の丸から本丸と松の丸へ入る門。

虎の門

16_R.jpg

大手門、西の口門と並ぶ正門の一つで、天守から見て寅の方角にあるのでこの名がついた。

大手先門

17_R.jpg

 現在の北九州市役所と小倉城庭園の間あたりにあった門。この門をくぐり、大手門へ向かった。

北口門

kitaguchi_R.jpg

 下屋敷(現在の小倉城庭園)から北の丸へ行く門。八坂神社の参道の門を入って右側が門跡。

卍の刻印

19_R.jpg

 ★印の場所。槻門と鉄門の間の石垣下部に「卍」の刻印がある。これは築城時に、このあたりの石垣を請け負った家臣の家紋。

野面積み

nodura_R.jpg

城の石垣は中世に多く用いられた「野面積み(のづらづみ)」といい、主に当地の足立山系から運び出した自然石(野面石)を使用。戦国大名で乱世を知る忠興の自慢の一つだったと言われている。

着見櫓(糠蔵)

21_R.jpg

小倉城の「着見櫓(つきみやぐら)」として櫓上にて沖からの通航船を監視した櫓やぐら。木造三重二層三階塔屋付、延べ330㎡の構造で、当時の場所にそのままの姿を再現している。現在は『漬物処糠蔵(ぬかぐら)』として営業中。

漬物処「糠蔵(ぬかぐら)」

13-1_R.jpg
14-1_R.jpg

 小倉城城主、小笠原忠真公は、ぬか漬けが盛んな信州松本を統治していたこともあり大変ぬか漬けを好んでおりました。小倉城入封の際にも、ぬか床を持ち込み、城下の人々にもぬか漬けを推奨しました。その後、ぬか漬けは現代に至るまで、城下の各家に代々受け継がれ、「百年床」というぬか床があるほど。小倉は全国的に最もぬか漬けが根付いた土地柄となりました。ぬか漬けは生で野菜を食べるより、ビタミン類・乳酸菌が豊富で、体のバランスを整える作用があります。「糠蔵」は郷土の伝統的な食文化を次世代に伝え、美味しく健康的な食べ物を提供するお店です。

営業時間 11:00〜16:00
毎週月曜日定休(月曜が祝日の場合翌日が店休日)
お問い合わせ 093-592-5722

白洲灯台岩松翁記念塔 (城内の櫓)

31_R.jpg
明治初頭、長浜(小倉北区)の岩松助左衛門は、小倉沖の白洲(しらす)付近で船の遭難が相次ぐ事を見て灯台を建てようと私財を投じ義金を募って建設にかかったが、私設灯台禁止により政府の手ですすめられ、完成前に灯台を見る事なく亡くなった。
この塔は岩松翁が設計した白州灯台を模したものです。昭和38年、5市合併による北九州市誕生に合わせ翁の遺徳を偲ぶと共に水難救助のため尽くした功績を顕彰するためにこの地に建てられました。京町4丁目にある再顕寺(さいけんじ)には助左衛門の墓があります。

城内の塚

花塚

41_R.jpg

 昭和三十六年に、北九州いけばな協会の前身である北九州華道連盟により建立された。この碑は、愛すべき花の霊を供養し また花道人の心の支えとなっている。昭和五十四年から小倉北花道協会が引き続き毎年十月の小倉城まつりに花供養を行っている。

茶筌塚

42_R.jpg

 読み方は「ちゃせんづか」。『茶道に親しむもの 古筌を全て是れに集め 供養のために焼く小笠原古流・千家表・裏流を始め旧小倉市茶道協会有志により昭和三十五年十二月四日建立。

筆塚

43_R.jpg

 毎年十月に使えなくなった筆を献じ筆供養を行う。碑の「筆塚」の刻字は小笠原藩の名書家下枝董村の筆跡から二字が選ばれた。昭和四十年四月に文化の振興を祈念して小倉城筆塚建立委員会により建立。

COPYRIGHT KOKURA CASTLE. ALL RIGHTS RESERVED.
Google translate »