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小倉城散策

小倉城外

曲輪(くるわ)とは?

城の囲いの内側の区域のこと。
小倉城下では、紫川をはさんで東西の曲輪が配備された。北は海に面し、東・西・南は堀で囲まれ、これを城郭内とした。
城郭の周囲は8km、東西は2kmに及んだ。

図:幕末期の小倉城下[小倉藩士屋敷絵図より]

その他街道の門跡

門司口門跡 長浜町2(長浜第2公園内) 門司往還の出入口
中津口門 中津口一丁目9(中津口公園内) 中津街道の出入口
香春口門跡 馬借三丁目6 秋月街道の出入口
篠崎口門跡 大手町13番 秋月への脇道の出入口
到津口門跡 田町19(西小倉公園内) 長崎街道の出入口
清水口門跡 金田一丁目1 長崎街道の出入口

中津口門の大石

小倉城東の中津口門は明治になって解体され、石垣の巨石は近くの神社に安置の後、現在の八坂神社東側に置かれた。明治時代、小倉に来る若者たちは、この巨石を睨みつけると成功するということで、「大石にらみ」や「出世石」と言ったという。

八坂神社

小倉城主の細川忠興が元和3年(1617)に祇園社を鋳物師町(いもじまち)に祀った。明治時代に、八坂神社を改名し昭和8年(1933)に小倉城内の現在地に移設された。忠興の眼病平癒祈願の石造燈籠や鳥居は県指定文化財。

小倉城庭園

この場所は細川時代には家老の長岡佐渡の屋敷、小笠原時代には藩主の下屋敷(別邸/御遊所)であった。現在は江戸時代の大名の庭園と武家の書院を再現し、日本でも珍しい礼法を中心にした伝統的な生活文化を味わえる施設となっている。また、書院では大名が食した本膳料理(要予約)も楽しむ事ができる。

欣浄寺

この寺の子安観音菩薩像は5.5cmの小さなもので弘法大師作といわれている。小倉藩主小笠原忠真が、兜の上にこれを頂き合戦に赴いたところ、数度の戦に一傷も負わず、多くの戦功を立てて帰陣したといい、この故事を詠んだ俳人・河野静雲の句碑が境内にある。

旦過市場

現在の小文字通りにある「クエスト」の場所には、かつて藩主小笠原秀政の菩提寺、宗玄寺があり、門前の修行僧の寮は「旦過寮」と呼ばれていた。後にその場所は魚の荷揚げ場や野菜の集積場となり、現在は「旦過市場」となって、魚屋をはじめ、八百屋、果物屋、肉屋、総菜屋など、大小の店が軒を連ねる庶民の台所として賑わっている。

三の丸土塁跡

小倉城内三の丸と西曲輪(武士と町人が混住)を区切っている土塁で、現存しているのは当所だけである。三の丸の中のこのあたり(現在の思永中学校)には、小笠原藩家老で宮本武蔵の養子である宮本伊織の屋敷がある。

広寿山福聚寺

小倉北区寿山町
寛文5年(1665)初代小倉藩主小笠原忠真が同家の菩提寺として建立したもので、黄檗宗おうばくしゅうの古刹として名高い。境内には藩主の墓や小笠原ゆかりの人々の墓がある。また、寺の建物は県指定文化財。

手向山公園

小倉北区赤坂 シイやタブなどの自然林で構成されている自然公園であるが、その昔は小笠原藩家老・宮本伊織が藩主忠真から拝領した薪山であった。

諸国を行脚していた伊織の養父である宮本武蔵は、小倉の地で約6年間過ごしたと言われている。山頂にある宮本武蔵顕彰碑は、伊織が承応3年(1654)に建立したもので、武蔵研究の第一級資料とされている。

この碑の隣には、昭和26年、作家村上元三の小説「佐々木小次郎」の新聞連載完了を記念し建立した佐々木小次郎の碑がある。また公園の入口には宮本家代々の墓所(墓所内の立ち入りは不可)がある。

なお、手向山には、明治20年代に関門海峡防備のための砲台が設置されたが、実践に使用される事はなかった。今でも付近一帯には、砲座、弾薬庫、観測所や探照灯台座の跡が残されている。

北九州市 小倉城

慶長7年(1602)細川忠興公が築城した名城、小倉城。当時は「唐造り」とよばれ、全国唯一の珍しいものでした。現在の城は、昭和34年に在りし日の名城を再建したものです。

料金 一般  350円
中学生・高校生 200円
小学生 100円
団体割引(30名以上) 2割引き
療育手帳・身体障害者手帳・精神障害者保健福祉手帳をお持ちの方
北九州市の方 無料(付添い1名無料)
市外の方 有料
※詳細はご利用案内をご覧ください。
休館日 年中無休
開館時間

4月〜10月 9:00〜18:00
11月〜3月 9:00〜17:00
(入館は30分前まで)

803-0813
福岡県北九州市小倉北区城内2-1

TEL 093-561-1210

小倉城・小倉城庭園・松本清張記念館 3施設共通入場券

小倉城・小倉城庭園・松本清張記念館の3つの施設に入場できる共通券です。

料金 一般  700円
中学生・高校生 400円
小学生 250円
  ※団体割引はありません。